昔から、国東半島には『鬼が住む(棲む)?』と言われてきた。古老などは「ここに住む私(わしたち)が鬼の子孫じゃ」と言う。なるほど、人間の浅ましさを突き詰めれば“鬼”に行き着くのかも知れない。そうなると世間一般の人は、みな鬼であろうか? こころの奥底に鬼の本性を隠して生きているのだろう。
 しかし、国東に限って言えば、もう少し具体的な疑問が湧いてくる。と言うのは、九州の最北端に位置する国東半島は“国の崎”と言われ、古来辺境の地であった。今でこそ呼び名も濁らずに通称「クニサキ」と呼ばれているが、本来の呼び名は「クニザキ」である。泥臭い呼び名が元々なのだ。
 しかも、西国東の都甲谷(とごうだに)の奥地には、鬼城(キシロ)という地名があり、その名の尖った山がある。周囲を岩稜に囲まれ、まさに人跡未踏?の険しい山だ。地元の人もめったに近づかない。垂直に聳える岩肌には、あちこちに鬼の住処とおぼしき洞穴があり、修験道の修行場所となっていた。
 天台密教の天念寺付近には、鬼が死んだ山”鬼死岩(おんしいわ)”なる尖塔の岩山がある。謎に満ちた国東半島の山々なのである。
豊後高田市長岩屋の鬼死岩!  鬼城巡礼  鬼城の屏風岩。並石ダムの上流に聳える。鬼城への回廊の様な連なりである。


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