大分県−耶馬溪谷の成り立ちは、巨大火山だった?

深耶馬渓・巨石の景観が美しい場所!県道に沿った町並みから仰ぎ見るとそそり立つ巨大な岩壁に驚かれ、その奥にも突き立っ岩峰が想像されるが、実は
上部には平原が広がっており、人々の住居がある。
   新生代の第四系地層 について
 大分県で第四系が発達するのは内陸の湖盆形成地域と海岸の平野地域である。玖珠盆地では玖珠層が溶岩や火砕流堆積物で覆われる関係で分布する、岩室層,宝泉寺層などがそれである。第四紀火山岩類は新第三紀からの火山活動の「活動場」を縮小しながら連続しており、大規模な火砕流としては耶馬渓火砕流,阿蘇火砕流,久住火砕流が100万年前以降に噴出し,その後,豊肥火山活動による輝石安山岩の噴出、それに続くいわゆる山陰系火山活動としての角閃石安山岩の活動がある。前者は筑紫溶岩,万年山溶岩(火山岩類)などで,別府から万年山(ハネヤマ)地溝帯を中心に広く
溶岩台地を形成したようで,侵食が進んだ現在でも平坦な地形を残している。後者は姫島から南西方向へ,両子山,由布岳・鶴見岳,九重山へと続く火山群である。


県南の観光地にあった標識だ。

 両子山系を除く、国東半島から耶馬溪地区までは、同じ緑色の地形だ。これは、玖珠の万年山や岩扇山は阿蘇に続く大火山の噴火による火口壁だという説がある。その時の溶岩流で宇佐や国東半島の地形が形成されたという説がある。根拠は、乏しいのだが!

台地の谷間には、国道が走っている。


有史以来、阿蘇山の噴火は、巨大だった



戻る